無想会・沖縄同好会

沖縄同好会の稽古日程、無想会の身体操作を知ることができます!!

権力者はなぜ8角に座し、多くの空手の形はなぜ数字にまつわるのか、東アジアに与えた中華文明の影響

権力者はなぜ8角の中に身を置くのでしょうか。

例えば、7~8世紀ごろの舒明天皇以来、8角の古墳のは天皇・大王の固有の特徴です。

舒明天皇

また、徳川家康の墓「宝塔」は、8角形が9段重なる構造です。

徳川家康の墓・宝塔

加えて信長の安土城も6階は8角形であったそう。

令和天皇即位の際に見られた「高御座」もまた8角形でした。

高御座

極めつけは、紫禁城の皇帝の玉座の天井の装飾「軒轅鏡」は8角が描かれ、その中心が玉座の真上となります。

軒轅鏡

これは、古代中国の世界観によるもので、八方は世界を意味し、その中心に君臨し世界を統べる、というような意味を持つからです。すなわち、八角の中心に存在することは王の権威をあらわしました。

実際に、万葉集には舒明天皇を称える詩に「やすみしし」の枕詞から始まるものがあります。これは「安見知し(安らかに治める)」であり「八隅知し(隅々まで治める)」の意です。

 

この思想から重要な意味を帯びるようになったのが9の数字です。

世界を表す八方に支配者としての中心の一点、すなわち8+1=9は、特に中国王朝において皇帝の権威を表しました。

 

高位の臣下たちは、他の臣下と異なり9匹の龍が描かれた衣服の着用が許されました。皇帝自身の服には8匹しかいませんが、実は裏地にもう1匹隠れています。

紫禁城の扉の釘は9列9段で9重の扉からなります。平安時代の日本では「九重(ここのへ)」が「宮中」の意味で使われたのはこのためです。これの影響か、北朝鮮建国記念日は9月9日で、2016年のミサイル発射は9月9日午前9時に行われました。

さらに、紫禁城周辺には「九壇」(天壇とも)という9つの祭祀施設があり、それらの階段は9段、石板の数は36枚72枚108枚と9の倍数、途中には「七十二長廊」が設けられ、「九龍柏」と名付けられた樹木まである徹底ぶりです。

 

王朝の関わる政治や軍事にも9の倍数は現れます。

 

例えば、「3跪9叩」が有名です。臣下が皇帝に、あるいは勅使に対し9回頭を下げるというものです。

軍事なら、1695年の清朝火器部隊の新型戦術では、「3回笛を鳴らし1回射撃を9回繰り返す」というマニュアルが存在しました。

 

ここで、清王朝時代末期に琉球に伝わった空手の形を見てみると、9の倍数の名を持つ形が多いことが分かります。

18  「十八(セーパイ)」(那覇手

36  「三十六(サンセイリュウ)」(那覇手

54  「五十四歩(ウーセイシ・ごじゅうしほ)」(首里手

108 「一百零八手(スーパーリンペイ)」(那覇手

です。

最後の108「一百零八手」は、明治時代に沖縄に持ってこられた剛柔流系統に伝わるものが有名ですが、史料によれば1867年には「一百零八歩」の字が記されており、元々琉球に伝わっていたようです。

 

廃藩置県前の琉球王国で私的な清への渡航は不可能である=交流は公的事業

那覇/首里を問わず9の倍数の名を持つ形が多い=形の出自が同じ可能性

 

ということから考えると、

これらは、琉球王府と清朝の間の公的な交流からもたらされた、清朝公式の武術だったのでは?と考えられます。ちょうど火器部隊の射撃マニュアルのように。

 

すると上記の

18

36

54

108

 

の形以外にも、

27

45

63

72

81

90

99

9×N,,,

の形があるのでは?との推測も出てきます。