沖縄空手には順突きも逆突きも追い突きも無い
技と運足とは別物で考える方が色々なことが上手く説明できて都合が良いです。追い突きというのは存在せず、ただ、撞木立ちから前に歩いて脚が揃う時に突いているだけのものだと思います。順突き・逆突きも、ただ歩きの中でどのタイミングてどの腕で突いているかの違いに過ぎず、ただ単に突きなのだと思います。
そうであれば、何突きであろうと、広背筋を真下に収縮させるという技は何も変わることがありません。
絶対と相対、または主観と客観というのを分けるべきかもしれません。
走る電車の中で手を離して重力に任せてボールを真下に落としたとします。電車の中の自分からは、ボールは真下に落ちて行くように見えます。対して、プラットフォームにいる人からは、ボールは電車の進行方向に放物線を描いて横にも進みながら落ちていくように見えます。
このようにどこから観測するかによって、現象の見え方は異なります。
例えば追い突きを例に取ると、自分からは(絶対・主観)広背筋を真下に収縮させるだけ、ナイファンチ立ちでの正面突きと変化がありません。 ただそれを歩きながら行っているだけです。
しかし、外部からは(相対・客観)腕を後方から前方にサインカーブを描いて持っていって突いたように見えます。
突く腕がボール、歩く身体が動く電車です、それを自分から見ればただの歩きながらの突き、外部から見れば追い突きになる、ということなのだと思います。
一歩歩いて突く追い突き、前脚を踏み込んで突く刻み突き、その場で打つ逆突きなど色々ありますが、実際は全て歩き突きとでもいうようなもので、ただ枝葉の現象に名前をつけているだけのように感じます。
兄弟子との会話 筋力は重力を活用するための手段でしかない
無想会に興味を持たれる方は、新垣会長の書籍から来られる方が多いですね。書籍では、筋力+重力=力学的エネルギー、とか、筋力=自動力・重力=多動力、などと描写されています。しかし、昨今以下のように考えるようになりました。
以下は筆者の兄弟子とのメッセージのやり取りです。
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2025年12月19日
最近、筋肉によるエネルギーと重力によるエネルギーを分けて考える実益がないように感じます。
もちろん、筋肉とそれ以外の身体操作を別個に考えることで集中しやすいとか、まずは重力落下の概念を理解してもらう、という目的には有益です。
しかし、魚は水を活用するための身体をしていて、鳥は空気を活用するための身体をしています。魚は水を掻いて進み、鳥は空気を掻いて飛びます。
人間は重力を活用するための身体をしていると考えるようになって来ました。
そうであれば、重力と筋力とを同列で別個のものと考えるより、重力あってこその、重力活用のための手段としての筋力、というふうに次元を異にして考える必要があるのではないかと思い至りました。
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重力がまずあって、体はそれを活用するための道具に過ぎないという感触がでてきました。
また、以下のリンクにあるように、相手との距離と重力落下との間に関連はありません。真下に5cm落とす時間と、100cm離れた相手の方向に縦方向5cm落とす時間は一緒なのです。
新垣会長は、感覚的に、自分の拳が目標にワープする感覚があるといいます。これは重力落下の鉛直方向の移動と水平方向の移動とが独立していることによるのかもしれません。
無想会セミナーが今年も開催されます。
東京・大阪・沖縄で5月~6月です。
今ではあらゆる流派で、本土空手でもナイファンチをやり、那覇手からナイファンチの解説本が出版され、海外では空手家以外もナイファンチを研究しますが、新垣会長の書籍出版以前は誰も取り組んでいませんでした。
そんな、沖縄空手ブームの元祖とも言うべき新垣清のセミナーが今年も開催されます。
こぞってご参加下さい、早期割引は2/28までです。
首里手の身体操作に関わる七つの口伝
首里手には以下のような口伝があります。
・地面は蹴るな
・腰は回すな/振るな
・頭は上下させるな
・突きは手が先
これらは全て以下のような理由によると考えられます。
・地面は蹴るな
地面を蹴ると自身の持つ位置エネルギーを殺してしまい、相手に伝えることができません。
また、蹴ると不安定になりバランスを取るために反対の脚に体重を載せて居着いてしまいます。
重力落下の活用とそのための居着きの回避と解釈することができるでしょう。
・腰は回すな/振るな
これも上記と同様の理由によります。
腰を回したり振ってしまうと、身体の中に軸ができてしまい、居着いてしまいます。即ち、軸が身体を悪い意味で安定させて落ちる(=重力落下の活用)事ができないのです。
また、腰を回す/振った場合、身体の半分の質量はあらぬ方向に作用し技のエネルギーを減衰させます。
更に回転することで作ったエネルギーは回転の方向に逃げてしまいます。
・頭は上下させるな
これも同様です。
頭を上下させるということは、どこかで地面を蹴ってしまった結果と解釈することができます。
もちろん、動きが悟られにくいなどあろうと思いますが、他の家電との整合性を考えると、主に地面を蹴らない(=重力落下の活用)を指摘しているのではないかと思います。
・突きは手が先
これも実は同様の理由によります。
脚が突きよりも先に着地してしまうと脚が邪魔で重力落下が起こせないのです。
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全てが重力落下の活用(=位置エネルギーの活用)を意味していると言えます。
そして、これらの内容は少し武術に興味がある方ならば聞いたことのある内容でしょう。
25年前に新垣会長が記した「沖縄武道空手の極意」により、重力落下や位置エネルギーの活用というワードは空手界に広く普及しました。
この重力落下の活用の概念は、新垣会長の極意、ではなく、沖縄空手の極意であるというのが分かります。
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また下記のような口伝もあります。
・力はクシ(後と書いてクシ、沖縄方言。腰や背中の意味、無想会では大腰筋と広背筋と解する)から
・呼吸は自然に
・身体は固めるな
・蹴りは内から外へ
これらは以下のように解釈できます。
・力はクシから
「クシ」とは、「腰」の意だけでなく、「後」をも指します。実際に沖縄には「後原」と書いて「クシバル」と読む名字や地名が存します。
無想会では、筋肉・骨格、新垣会長の感覚から、これは大腰筋・広背筋のことを指すと解釈しています。
脚を引きあげる際に最も重要な筋肉は大腰筋です。陸上のスプリンターは一般人より2倍から3倍も大腰筋が太くなるようです。
また、腕を速く振る投球などの動作には広背筋が強く関わります。これは、そのような動作は腕を前に押し出すのではなく、広背筋で腕を身体中心に引きつけることでなされます。
・呼吸は自然に
呼吸は呼吸のために存在し、体を動かすためには存在しないからです。呼吸で動こうとすれば呼吸の速さ以上に速く動くことはできず、またタイミングを相手に伝えることになります。
・身体は固めるな
これは体を必要以上に固めてしまうと身体が居着いてしまうからです。
重心を身体の中に呼び込み居着く、または、技の前で筋肉が収縮してしまい動けない、という事態を避けるためと解釈できます。
ただし、相手に衝撃を与える一瞬は、自分の身体がエネルギーを吸収してしまわないように身体を固める必要はあるかと思います。
実際に、優秀なボクサーの筋電図を測ったデータでは、始動とインパクトの瞬間に筋収縮が起こっていることが計測されていました。
このデータはまた、反対解釈として、身体を固め続けるのは誤りであることを示すでしょう。
上記2つ「呼吸は自然に」「身体は固めるな」は、個人的には、東恩納寛量/宮城長順/上地完文・師の中国滞在後に生まれた口伝ではないかと考えています。
これらの身体操作は那覇手の息吹やサンチンや一部流派でのセイサンでなされるものです。
上記の理由などにより、また、那覇手と異なって首里手は日本剣術をバックボーンとして持っていたこともあり(松村宗棍などは武士階級で、その階層は日本剣術を教養としていました)、首里手の人間達には受け入れ難いものだったのでしょう。
・蹴りは内から外へ
これは、大腰筋・腸骨筋・大腿筋膜張筋などの作用により、正しく脚を動かすと蹴りは内から外に向かいます。
歩行の際の脚の軌道、サッカーのキックの脚の軌道はこれら全て内から外へと向かっています。
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さて上記の口伝は以下のように2つに分類できます。
■重力落下の活用:「地面は蹴るな・腰は回すな/振るな・頭は上下させるな・突きは手が先」
■生来的な身体操作の活用:「力はクシから・呼吸は自然に・身体は固めるな・蹴りは内から外へ」
そしてこの2つの分類をさらに統合することができます。武術であるから殊更にエネルギーを創出する必要があるので、重力落下の点が強調されているだけであって、重力落下の活用も「生来的な身体操作」と言うことができるからです。
例えば、歩行は膝を抜くことで前に落ち(重力落下の活)、大腰筋(クシ)で脚を引きあげて歩きます。
また、広背筋は投球という有史以前から人間が得意とした運動に使われ、その筋繊維の方向は、下部中部は重力落下の方向と同じ方向に向かっています。これも重力落下の作用に広背筋の作用を合わせる、という点で都合が良いのでしょう。更に言えば、投球の際に腰を突き出したりするのは、重力落下によるエネルギーの創出です。
考えてみれば、空手の技も人間の身体を使って出さざるを得ないのですから、その技は人体が想定した動きに包含されなければなりません。人体の想定しない動きとは、非効率な運動か怪我に至るかの他ありません。
人体は重力の作用する空間に適用し、そして人間は二本足で歩くが故に、最もその存在を強く認識・活用したのでしょう、重力落下の活用が巧妙な身体であると感じます。
「武は歩み足」という言葉があったはずです。対偶は「歩みに非ざれば武に非ず」です。歩みと異なる原理の動作は、流派や個人の個性ではなく誤った動作と基準を設けることができます。
無想会では、人体の身体操作を原理原則、本質として「業」、突きや肘打ち蹴り投げなどはその原理原則の枝葉、派生、現象として「技」と表記します。
この本質たる「業」という視座を以て見れば、様々な技や秘伝等が所詮はこの業の一現象に過ぎないと理解できます。よく言われる膝の抜きなどその代表例でしょう、そして理解が進めば膝の抜きなど初心者向けの説明にしかならないことも分かります。
武術云々というのも、気や何やらではなく、全て理論立って説明できるはずです。
更に、不可思議な技や稽古を見て「この技術はここで間違えられたのだな」という思考も可能になってきます。例えば、「身体を固めるな」の筋電図云々でのインパクトにおける筋収縮は、「極め」と説明され、それがただ拳を握り込む動作と誤解されたのでしょう。
「業」の視座は最も価値があるものだと感じます。
この「業」の与える知的興奮や統一的な納得というのが、トーナメントやエクササイズ的要素がないにも関わらず、一般的な教養のある成人をして空手を稽古せしむるのだと思います。
空手をやる意義
例えばトーナメントで名を挙げても、一目置かれるのは内輪のみで、さらにその内輪でも数年経てば過去の人です。
では武術の真髄を極めたとしても、出来上がるのはパンチが上手い人ですが、しかし、百均で刃物を買った素人の方が単純な攻撃力は高くなります。
空手は金にならないし、空手単体では人の役にも立ちません。金を稼いで貢献して、と目論むならば、空手以外の手段の方がうんと効率が良いのです。
空手を引き合いに出しましたが、これはあらゆるジャンルにおいては発生する悩みであると思います。
お前は素手で人を殺せるようになってどうするのか?
お前は組手という喧嘩ごっこが上手くなってどうするのか?
お前は金を稼いでどうするのか?
お前は社内で1位になってどうするのか?
家庭で良き父・夫になってどうするのか?
お前は生きていてどうするのか?
という悩みです。
一番最後の生き死にの悩みは自分もまだ答えが出ていません。
神話類型で有名なジョゼフ・キャンベルは、至福を追求せよ、と言い、数学者の岡潔は、スミレの花がスミレの花であれば良いように、という言葉を言っていたはずです。
自分が嬉しかった事として、新垣師範は、人の役に立つ、とか、社会貢献、等という建前的な回答に逃げていない所があげられます。
例えば、ブッダの息子の名前はラーフラですが、これは邪魔という意味だそうです。そもそも、あらゆる物を投げ出して自分の思いに純たらんとする人間は、社会的にみて狂人か非道徳的かです。
そういった小乗的な発想のもとに、人との交わりを絶って私がかろうじて得たのは、人間の脳の構造上、人との交わりがない場合、人生は空虚で生きる意味がない、というものでした。少なくとも自分は。
話がそれましたが、新垣師範はよく、空手を修行するのではなく、空手で修行した、と言います。
空手で男を磨くのだと。
そして、そのような修行の手段は人間の業として、生きるということに結びついていなければならないと。師範は突きや蹴りという技を、人間の四足歩行動物からの進化という観点から、人体の実在そのものにまで立ち返ることができました。
それにより、空手は自己というものが存在する以前から存在する肉体に本来的に備わった運動、というものと空手の技とを結びつける事が出来たのだと思います。それは技が業に結びついたということでしょう。
突きという現代では余剰な運動が、生きるための業として与えられた個の関与しない運動に結びついたということなのでしょう。
競技において、強くなりたい、と思ってMMAを始めた人間は決してジャッジの心象を意識して壁際で組み合った際はコツコツ削って攻めの姿勢を見せる等ということは練習しないはずです。
サッカーの楽しさやカッコよさに魅入られた人間が最初に練習するのは、相手の際どいプレーをファウルに見せるコケ方や、痛がって審判にファウルを出させるシミュレーションの方法ではないはずです。
しかし、競技では誰もが勝ちたい都合上、そのような非本質的な技術に拘泥します。
では、本質とは何なのか?
空手の本質、等という狭い範囲に止まってしまった場合、お前は素手で人を殺せるようになってどうするのだ、という問いが再び妥当してしまいます。
新垣師範の回答は、恐らく、人間の業としての生きるということに結びつく、ということなのでしょうか。
ここはまだ自分は分かりません。
意味や本質というものをずっと考えていると、多くの場合虚無性というのが専念を妨げてくると思います。
今後空手をやる意味というものを考えて、その先に生きる意味というのも見えるのだろうか、見えたら良いな、と思いながら続けていきます。
ナイファンチの口伝と足跡
新垣会長の指導は、ただナイファンチでの修行の一部を切り取っているだけなのではないか、という淡い推測が浮かんでいます。
即ち、「頭は上下させるな・正中線を動かすな・肩や腰は回すな/振るな・地面は蹴るな」、などなどのナイファンチの要求する身体操作を突きや蹴りにブレイクダウンしているだけなのでは、と。
先日、ポーランドから体験の方が来られました、1ヶ月以上は滞在するそうです。
さて、無想会に初めて入った方はまず、大腰筋や広背筋というような普段はあまり意識されない筋肉を動かせるようにする所から始まります。
もちろん最初は動かせないのですが、この時、ナイファンチの指導に於いて大腰筋の活用が見えた瞬間が有りました。
交差立ちになって次に後ろ脚を前に持っていくシーンで、その後ろ脚の踵が先に地面から離れ、爪先立ちになってしまいます。ほぼ全ての流派ではこれを良しとしていますし、また自分も身体操作か甘く後ろ脚が爪先立ちになることが多いです。
しかし、このように爪先立ちになってしまうと、その後ろ脚のつま先(厳密には上足底ですが便宜上爪先とします)が地面を引っ掛けて前に行こうとする自分を爪先で制御してしまいます。
また、そのつま先が地面を押してしまい、安定を取るために片足に重心が乗り居着いてしまいます。
「地面を蹴るな」
という口伝を厳密に守ろうとすると、足の裏を地面と水平に離陸させる、つまり爪先と踵が床から同時に離すほかありません。
すると、この状態で脚を上げて歩くには、大腰筋で体の奥底から脚を引き上げるしかありません。
もちろん、体を傾けたり上に伸びたりすればなんとか脚を動かすことは可能ですが、それでは「頭を上下させるな」に違反してしまいます。
この地面から脚を引っこ抜くようにして後ろ脚を前に持っていき歩くと、上げた脚に重みがしっかりと乗るのが分かります。具体的には、重心が体の外に出たまま=居着かないまま歩くことができます。
この大腰筋の活用を、何の手かがりも無く形で学び取ろうとするのは難儀過ぎる、というか、10時間のセミナーでは不可能です。
それ故に最も具体的、最小単位的に「大腰筋を使って歩く」というように会員のためにブレイクダウンして説明しているのでは、と筆者は考えるようになったのです。
これが時間が沢山あった連中ならば、何となく「クシ(腰・後の意味)で歩け」「地面を蹴るな」だけで通じたのかもしれません。
前回のセミナーから、新垣会長は「動かずに突く」というのを徹底するよう求めるようになりました。
これもナイファンチにおいて「正中線を動かすな・肩や腰は回すな/振るな」を徹底した結果得られた身体操作を会員のために分かり易い突きで説明していたように感じます。
自分がナイファンチから見取れたのは未だ上記の大腰筋の活用のみです。
ある種の思考停止で、ナイファンチとその口伝を標として計器飛行のように目を瞑って突っ走ったら何らか見えてくるものがあるのでは、と感じました。
※これが故に「ナイファンチは鍛錬形なのだ!」と言えたらその人は凄い人であると思います。しかし、やはり戦いから生まれたはずの形に相手がいないなど考えられません。また、相手がいても上記の身体操作の学習は可能、というかその方が効率的です。したがってやはり鍛錬形説は誤りです。
【2025秋季 無想会セミナー告知!】
■東京
日程:11/2(日)・11/3(祝日)
初 日:千葉市幕張勤労市民プラザ
2日目:Bumb東京スポーツ文化館
■大阪
日程:11/8(土)・11/9(日)
場所:大阪市北区天満
■沖縄
日程:11/15(土)・11/16(日)
場所:沖縄空手会館
■詳細
セミナー特設HP:https://muso-kai-seminar.jimdofree.com/
【沖縄同好会9月稽古日程!】
■日程:原則毎週日曜日10:30-13:30
9/21(日)10:30-13:30
9/28(日)10:30-13:30
途中入室・途中退場可能
■場所:那覇市楚辺、モノレール壺川駅から徒歩10分、詳細はご連絡下さい。
■連絡先
メール:musokai.okinawa.branch@gmail.com
Instagram:@musokai.okinawa
X(twitter):@musokai_okinawa
■内容
①基礎:突き・蹴り・形・その他身体操作
②その後は時間の許す限り各人の修正
③トレーニング(任意):筋力トレーニング、HIITなど、途中退場・回数の調整は各人の判断によります。強制ではありません。
■費用
体験(初回):1000円
出稽古(2回目以降):1回3000円
入会費(年会費兼ねる):10000円
会員:月1500円
入会した場合、体験費用は不要です。
■Q&A
Q:初心者/未経験者だが大丈夫か?
A:全く問題ありません。厳しい追い込みや、激しい組手、怪我の恐れのある稽古は原則行いません。あっても任意です。
Q:他流派に所属しているが問題ないか?
A:全く問題ありません。他の格闘技、流派と併修されている方も多くいます、偵察の方もたくさん来られます。SNSなどに顔を出す事ができない場合は事前にお伝え下さい。
Q:体力に自信がない
A:上述の通りキツい追い込みなどはいたしません、また水分補給・休憩は各々が任意に取って頂いて問題ありません。
Q:空手は怖そう
A:怒鳴る・罰として殴る、等ということは行いません。
Q:身体を動かしたいだけで、古武術云々はあまり興味がない
A:トレーニングも行っておりますので是非参加されて下さい。また、空手を通じて動ける体・正しい姿勢なども身につき、美しい歩き方・威厳のある立ち振る舞い・魅力的な身体を手に入れることも可能です。
Q:礼儀とかめんどくさそう
A:沖縄の道場はだいたい緩いです。我々もよく分かりません。
Q:紹介状などは必要か
A:不要です、ただし、突然の日程変更等もありますので、事前に参加希望の旨ご連絡いただけると助かります。
Lats: The Key to Body Mechanics in Okinawan Karate
Today, we focused on training the use of the lats in both throws and strikes.
In Okinawan Karate, there is a body mechanic known as "Chin-kuchi", which in many styles refers to tightening the muscles under armpits and forearms. In Muso-kai, we think that the lats are the most important part of Chin-kuchi. As the old saying of Okinawan Karate goes, "Energy comes from back", it is reasonable to focus on it in practicing Okinawan Karate.
It is often assumed that the lats are used only for pulling arms backward, so they have nothing to do with the forward movements of the arms such as punching. But it's anatomically recognized they have functions more than just pulling buck. If their only functions were pulling back, it would be difficult to explain why they became such large, even though human beings didn't need to generate energy backward so much unlike throwing projectiles. In fact, they draw arms to the center of the body, moving them both forward and backward.
2025年8月31日の稽古 広背筋の活用
本日は突き・投げにかかわる広背筋の活用について徹底して稽古しました。
沖縄空手には「チンクチ」と呼ばれる身体操作があり、多くの流派でわきの下や前腕の締めのことを言います。無総会では広背筋のかかりをその一部と考えています。「力はクシ(後の意味)から」の言葉が残るように、沖縄空手において広背筋の活用を重視するのは妥当かと思います。
通常、広背筋は後ろに引くための筋肉であり、突きなどの腕を前方に操作させる動作には無関係であると考えられることが多いです。しかし、広背筋には解剖学的にも後ろに引く以外の動作も認められていますし、また、後ろに引くためだけの筋肉であれば、これほどまでに広い面積を有するに至った理由が説明できません。広背筋は腕を体の中心に引き付ける筋肉であり、前方にも後方にも作用しうるのです。
会員のMさんの広背筋の活用が本日は目覚ましかったです。素晴らしい威力でした、彼の全体重が一瞬で相手にかかります。これは、広背筋を介して彼の全身の体重が相手に載っかかるためです。