投球のための、またヒットマッスルとしての広背筋
広背筋は腕を使う運動の要となる筋肉です。
ボクシングではヒットマッスルとされ、沖縄空手では「力はクシ(後、または腰の意の方言)から」との口碑が残り、また野球の投手の広背筋は、利き腕の側のみ肥大するそうです。
左が投手、右が水泳選手。投手は肩甲骨が下がり、右腕側の広背筋のみアンバランスに発達しているのが分かる。対して水泳選手は大胸筋の発達が著しい。
(同じ腕を振るスポーツでなぜこのような差異が生まれるのか?
これは、水をかくために身体後方に水を押し出すようにするという指導がされているからだ。その時の動作は、バープッシュアップと同様になる、それゆえスイマーは大胸筋が発達するのだろう。)
広背筋の誤解
格闘技では、
「広背筋は引く筋肉なので、打撃には無用だ」
「パンチの衝撃から肩を守るブレーキなのだ」
「パンチした腕を早く引き戻すからボクサーは広背筋が発達するのだ」
野球では、
「腕を振った衝撃から肩・肘を守るために必要なのだ」
「腕が上に抜けていくのを引っ張って防ぐために必要なのだ」
とされています。
しかし、これらは全て誤りです。
まず「引く筋肉」というのが、「腕を前から後ろに」引くのみの筋肉、と誤解されています。
(まあ、実は自分も「引く筋肉」で腕を前に出す...?と疑問に思っていました。)
広背筋の解剖図、広背筋の正しい理解
そこで、解剖学的に広背筋を見ます。
広背筋は、
背骨(胸椎・腰椎・仙椎)から始まり、肋骨や肩甲骨の下部に付着し、上腕前面に付着します。
(Latissimus dorsiが広背筋です)
「引く筋肉」だから後ろについてそうですが、上腕の前側、大胸筋と同じ位置に着いてるんです。
そして、平面の画像だとわかりづらいのですが、下記の画像をご覧ください。
広背筋は肋骨や肩甲骨下部に付着するとされます。そして、意外と垂直方向に繊維が走っているのが見えますね。
以上を踏まえると、下記の広背筋の機能が理解しやすくなるはずです。
広背筋の正しい機能
広背筋の機能は、肩関節の、伸展・内転・内旋です。
(この「肩関節」は肩甲骨のことではありません、上腕の運動、分かりにくければ肘に対する作用だとご理解ください。)
伸展
広背筋の作用で最初にイメージされるのがこの伸展で、肘を後ろに引く動作です。
オーバーローや、懸垂で使われる動作です。
(ベントオーバーロー)
内転
腕を体の中心に引き付ける動作です。「気を付け」の姿勢で腕を体側にくっつける動作で使い、
筋トレでは、ワンハンドラットプルダウン等で使われます。
(ワンハンドラットプルダウン)
内旋
インターナルローテーションなどのチューブトレーニングで使われる動作です。
上腕前面に広背筋が付着しているがために可能な動きです。
肩甲下筋のトレーニングとされますが、広背筋のトレーニングでもあります、広背筋を狙うほうが、球速アップ等に対しては恩恵が大きいでしょう。
野球選手が良く行っています。
(インターナルローテーション)
上記の解剖図やトレーニング種目から、決して「腕を前から後ろにのみ引く筋肉」などではなく、あくまで、体の中心に引き付ける筋肉だというのが分かりますね。
(広背筋は、確かに背骨・骨盤から始まりますが、肋骨・肩甲骨への付着を考えると、厳密には「肋骨下部・肩甲骨下部に上腕の肩口を引き付ける筋肉」なのかもしれません。ただし、収縮の意識は背骨・骨盤等にあります。)
多関節筋の多様な機能
そもそも広背筋などの、複数の関節をまたぐ多関節筋というのは、姿勢や関節の具合、ほかの筋肉との兼ね合いで、様々な運動ができます。
実際に、上腕三頭筋は腕立てのような腕を伸ばす動作につかわれますが、懸垂のような腕曲げる動作にも作用し、
また、大腿筋膜張筋は、股関節の屈曲具合や膝関節の具合で、脚を伸ばすのにも畳み込むという相反の作用を持ちます。
故に広背筋が後ろから前以外も行けるのは、何ら不思議ではありません。
ここまでが広背筋に対する誤解を解くパートでした。
では実際の運動において、投球やパンチ・突きなどの運動において、広背筋がどのように使われているのか。
実際の運動の中の広背筋
4足歩行の広背筋、広背筋による身体前面での腕の運動
下記のチーターの走る様をご覧ください。
爪で地面をスパイクし、後方にひっかく/引き付けることで前進しています。
このチーターは、前脚が身体前面にあるにも関わらず、広背筋の作用により動いていますね。
人間と動物の運動を一緒に考えてよいのか?と思われるかもしれませんが、そもそも脊椎動物の運動はとても似通っており、チーターの前脚と人間の両腕は相同器官ですから、合理性はあるはずです。
さらに、はしごを登る動作やクライミングの動作は、このチーターの4足歩行と全く同じ動作です。
実際に、クライマーたちは広背筋を重要視するそうです。
この動作において、両腕は、広背筋により動いているにもかかわらず、身体前面で、かつ、前から後ろではなく、上から下に向かって動いていますね。
(このはしごを登る動作を立って行うとそのまま歩行になります。歩くときに手を振る理由がこれなのでしょう。人間は唯一、2足4足歩行を行う生物と言えます。)
4足歩行のピッチング
さて、このはしごを登る動作の、腕を身体前面で上から下ろす動作を、「腕を身体中心に引き付ける」という広背筋の機能と合わせて考えてみると、
腕を斜めに振り下ろすような動作になり、それはそのままピッチングの動作です。
よく、巻き割りをすると広背筋が鍛えられるといいますが、それはこの腕を振り下ろす動作を両腕でやっているのです。
では、今度はパンチ・突きと絡めて説明します。
4足歩行の投球・突きへのコンバート
もう、広背筋を鍛えるポピュラーな種目であるラットプルダウンなどが、チーターの前脚、はしごを登る動作の引く腕の動作の変形であることは納得いただけると思います。
(ラットプルダウン)
この上記の画像のように、同じ広背筋の作用でも、肩甲骨を作用させることで、首の裏に引き付けることもできます。
上記は、上げた腕を広背筋でひきつけました。そのまんまラットプルダウンの動作です
肩甲骨を内転させ同じ動作をすると、首裏のラットプルダウンとなります。
さらに肩甲骨や肘を操作することで、ラットプルダウンの動きが、空手チョップのような動きとなりました。
そして肩甲骨の柔軟な人間であれば、肩甲骨の内転・下制でここまで後ろに肘を持ってこれます。
上記の肩甲骨の内転・下制に、下方回旋を加えれば、ここまで肘が落ちた状態でも、ラットプルダウンの動作で肘を前に持ってこられます。
肩甲骨の動作で、広背筋をここまで広角に使うことができます。
これが、野球の投手やゴルフ選手など、腕を振るアスリートたちの肩甲骨が柔らかい理由であり、
また、新垣師範が「極める!ナイファンチ」のDVDの中で、「「筋抜き」(沖縄空手の伝統的鍛錬法)は投球の逆をやっているだけだ」と言っていた理由でもあるのでしょう。
(筋抜き)
即ち、肩甲骨を柔軟に使える人間であれば、相反する動作が可能な多関節筋である広背筋を使って、投球であろうが筋抜きであろうがパンチ・突きだろうが、チーターが前脚をひっかく動作や、はしごを登る動作の派生形として、つまり4足歩行の派生系として行えるということなのだと思います。
結論
「広背筋は、肩甲骨の作用により、ほぼ全ての方向に対して機能できる」
と考えました。
ただし、沖縄空手の深淵さは、この広背筋への正しい理解だけではありません。
投球の弧を描く腕の振りを、無駄のない線で行う思想まで持っているのです。しかし、それはまた次回に譲ります。
拙く冗長な文章ですが、ご拝読ありがとうございました。
追記「マイケル・フェルプス」の広背筋
冒頭で、
「水をかくために身体後方に水を押し出すようにするという指導がされているからだ。その時の動作は、バープッシュアップと同様になる、それゆえスイマーは大胸筋が発達するのだろう」
と書きました。実際に水泳選手の大胸筋はすごいです。競技の中で発達したのか、「水を押し出す」ためにウエイトトレーニングで身に付けたのかわかりませんが。
(左:平泳ぎのアダム・ピーティー選手 右:バタフライの瀬戸大也選手、ともに大胸筋がすさまじい)
対して、バタフライのマイケル・フェルプス選手は、大胸筋よりも広背筋の発達が著しいように見えます。
(マイケル・フェルプス選手)
下記のフェルプス選手の泳ぎ方は、まるでチーターが丘での全力疾走をそのまま水の中でしているようです。
(フェルプス選手のバタフライ)
彼は、押す動作ではなく、引く動作で水を掻いているから、あのような体型になるのではないか?と考えてしまいます。
水泳は門外漢なのでサッパリですが、同じ泳法でも体の使い方が異なり、それが筋肉のつき方に現れているのかもしれません。
追記2 解剖学の射程
解剖学は、筋肉が単独で活動した場合、しかも大半がニュートラルな直立姿勢での作用に注目します。
即ち、静止した状態で筋肉を調査するのです。
しかし、実際の運動というのは、様々な筋肉が同時に動いて、かつ姿勢も関節の角度も刻々と変化します。
即ち、運動というのは実際には、常に流動しているのです。
ですから、静的な解剖学の知識を、流動する運動にそのまま当てはめて、運動を理解しようとすると大変なエラーが起こるのではないでしょうか。
無想会のサンチン
2022/8/28の稽古会に、サンチンをやりました。
首里手系の無想会でサンチン?と思いましたが、かつては息吹・内股をしない、さらには蹴りのある首里サンチンなる形もあったそうです。
鍛錬形とされたり、不安定な場所で戦うとか、防御力をあげるとか、3人の敵と同時に戦うための形とか言われたりします。
しかし、無想会では、正面から掴んできた最初から最後まで同じ一人の相手と組み討ち、首を極めて投げて膝を入れる形としています。
その他すべての形もそう捉えています。
内容は、襟首外し→右喉輪→左膝蹴り→右膝蹴り→投げ、でした。
・襟首外し
腕は内から外にクロスさせてこの構えになります。
また、上地流のサンチンや松サンチン、熊手サンチンなどは、手を開いて手刀を作った状態でこの構えを取ります。
この構えで、襟首を掴んできた相手の両腕を内側から肘を手刀で打って相手を崩します。
この時、腕力だけで打つと崩せないので、広背筋の使用と重力落下が必要となります。
広背筋が使われると、軌道が真下への直線ではなく、内→外→内と曲線を描き、ちょうどサンチンの構え方と同じになります。
また、重力落下を相手の腕にぶつけるために、膝の抜きに合わせ、左足を外に一歩開きます。
・右喉輪
通常のサンチンでの、正拳突きや正面への貫手を、右喉輪と解釈しています。
自分は左に一歩ずれたので、相手は自分から見て右に見えます。
それ故に、右の喉輪が入りやすいです。
相手に両腕で掴まれたままでも喉輪を入れるために、やや半身になりリーチ差を作ります。
これはチャタンヤラ・クーシャンク―の手刀受けのような姿勢となります。
(この画像は、松林流クーサンクーを左右反転させております。)
この時、左手は遊ばすのではなく、相手の右腕を内側から押さえておきます。
そうすると、次の左膝蹴りがブロックされることがなくなります。
・左膝蹴り
右で喉輪を取ったら右親指で顎を抑え、左手で相手の頭頂部を掴み、首を捻ります。左は引き込み、右は押し込みます。そうすると頸椎を捻転させ投げ/崩しができます。
通常のサンチンでの中段受けをこの首の捻りと解釈しています。
この状態(右喉輪)から...
(画像はマスター・ケン、多分コメディアンです)
喉は掴んだまま、こんな風に捻り落とします。
右手は顎をやや上に押し上げていき、右手は頭頂部を掴み引き込んでいくので、フォロースルーはこのようになります。
左で引き込んだので、相手の頭は自分の膝元に来ますから、そこを蹴りでカウンターを取ります。
・右膝蹴り
やることは前項の左膝蹴りと同じです。
ただ、相手の頭部をもつ位置を、右手と左手で入れ替えます。即ち、左手を喉、右手を頭に持っていき、今度は右側に投げ、右蹴りでカウンターを取ります。
この喉輪の左右の入れ替えを、無想会では夫婦手と定義しています。
・投げ
また「夫婦手」で左手喉輪から右手を喉輪に入れ替え、相手の顎が上を向くよう正面に突き出します。左手は頭頂部を掴み真下や、やや自分の方へ引き込みます。
(画像とはちょっと違うけどね...)
こうすると相手の頸椎を捻転させながら開始点から向かって正面に相手を投げ捨てることができます。
この時の格好は、諸手突きや逆突きにも見えました。
首の回転を縦回転にすると諸手や逆突き、水平に近づけるとクーシャンク―の髷隠し・額隠し手刀受けっぽくなりました。
・感想
とてもシンプルですが、これさえ覚えておけば組まれても何とかなるのではないか?と思えるほど実践的だったように思えます。シンプルさゆえにそう思ったのかもしれません。